🩰 DANCE — 身体と彫刻
ロダンの彫刻
— 大理石に封じた愛と苦悩
オーギュスト・ロダン『接吻』1882年頃・大理石・181.5×112.5×117cm。
ロダン美術館(パリ)所蔵。Wikimedia Commons ・パブリックドメイン
石から人間が生まれる。荒削りの岩盤から、滑らかな肉体が浮かび上がる瞬間——ロダンは「生まれかかっている」状態を彫刻にした最初の彫刻家だった。
「近代彫刻の父」とはどういう意味か
オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)が「近代彫刻の父」と呼ばれる理由は、技術的な革新だけではない。彫刻が「何を表現できるか」という概念そのものを更新したからだ。
それ以前の彫刻は、神話上の人物や英雄的な行為、または安定したポーズのポートレートを表現するものだった。完成された美しさを石や青銅に再現することが彫刻家の使命だった。
ロダンはそこに疑問を呈した。人間の感情——愛の恍惚、苦悩の叫び、死への恐怖——は、整った美しい形では表現できない。歪み、ねじれ、溶け合い、崩れる形の中にこそ、感情の真実がある。この確信がロダンを「近代」の彫刻家にした。
『接吻』——石の肉感
クリムトにも『接吻』があるが、ロダンのそれは全く異なる体験をもたらす。クリムトが金箔と装飾で愛を「永遠に封じ込めた」なら、ロダンの『接吻』は今まさに起きている瞬間の肉体感だ。
大理石という素材が、ここで異様な効果を発揮する。石は冷たく硬い。しかしロダンの技術によって磨き上げられた大理石は、人間の皮膚の滑らかさと体温を感じさせる。観客は「触れたい」という衝動を覚える——美術館では許されないが。
『接吻』は元々『地獄の門』(後述)の一部として構想された。ダンテ『神曲』地獄篇に登場する、不倫の恋に落ちて地獄に堕ちたパオロとフランチェスカだ。しかし後に独立した作品として展開され、「純粋な愛の象徴」として読まれるようになった。地獄からの引用が愛の賛歌になる——この逆転もロダン的だ。
非finito(未完成)の美学
ロダンの多くの作品には、荒削りの岩盤から人体が生まれかかっている部分がある。完全に彫り込まれた箇所と、石の表面が残っている箇所が同一作品に共存する——これを「非finito(ノン・フィニート)」と呼ぶ。
この技法はミケランジェロに源流がある。しかしミケランジェロの未完は制作の途中で終わったもの(サグラダ・ファミリア的な未完)であるのに対し、ロダンの非finitoは意図的な選択だ。
石から生まれる瞬間を見せる——それは「完成状態」より「生成過程」を見せることが、生命感をより強く伝えるというロダンの確信だった。完成は死に近い。未完成が生きている。
『地獄の門』——37年間の夢
ロダンが生涯をかけた最大の野心的作品が『地獄の門』(La Porte de l'Enfer)だ。1880年に仏政府から装飾美術館の扉のデザインを依頼されて着手し、1917年の死まで37年間手を加え続けた。未完のまま終わった。
ダンテの『神曲』地獄篇を主題にした、高さ6メートル超の巨大な鋳鉄製扉。中央に「考える人」、扉の上部に3人の影(Trois Ombres)、そして無数の人体が渦を巻く。作品全体で180点以上の人物像が配置されている。
『地獄の門』のために制作されたモデルから、後に独立作品として展開したものが多い。「考える人」も「接吻」も「カレーの市民」の試作も、元は地獄の門の一部だった。ロダンの全作品は『地獄の門』という巨大な森から育った木々と言ってもいい。
カミーユ・クローデルとの共同と別離
ロダンの人生で避けて通れないのが、彫刻家カミーユ・クローデル(1864-1943)との関係だ。弟子・協力者・恋人として10年以上の関係が続いた。
クローデルは類い稀な才能を持つ彫刻家だったが、当時の女性彫刻家が受ける偏見と、ロダンとの関係の終焉が彼女を追い詰めた。最終的に家族によって精神病院に入れられ、1943年に没した。
美術史において「ロダンの弟子・愛人」として処理されてきたクローデルは、20世紀後半から独立した芸術家として再評価が進んでいる。パリのロダン美術館には彼女の作品も展示されており、二人の作品を対比して観ることができる。
ロダン作品を観るために
ESSENTIAL FACTS
- 作家オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)
- 代表作地獄の門・接吻・考える人・カレーの市民
- 主な素材大理石・ブロンズ・テラコッタ
- 最良の観覧地ロダン美術館(パリ)・フィラデルフィア美術館・国立西洋美術館(東京・考える人の複製)
- 著作権パブリックドメイン(ロダン1917年没)
鑑賞のチェックポイント
ロダンの彫刻は「完成された美しさ」ではなく「生まれかかっている瞬間」を見せる。整った形ではなく、歪み・ねじれ・溶け合う形のなかに感情の真実を探したのがロダンだ。次の3点に注目すると、石や青銅が放つ生命感の正体が見えてくる。
- 石が肉になる瞬間……『接吻』では、冷たく硬いはずの大理石が、磨き上げられることで人間の皮膚の滑らかさと体温を感じさせる。触れたくなる衝動を覚えるかどうか、自分の身体の反応を確かめながら観てほしい。素材の硬さと表現された柔らかさの落差こそ、ロダンの技術の核心だ。
- 非finito(未完成)の境界線……一つの作品のなかで、完全に彫り込まれた箇所と荒削りの岩盤が残る箇所が共存している。その境界線を目で追うと、人体が石から「生まれかかっている」過程が見えてくる。完成は死に近く、未完成が生きている——ロダンが意図的に選んだこの効果を体感したい。
- 『地獄の門』という森……「考える人」「接吻」「カレーの市民」の試作はいずれも『地獄の門』の一部として生まれ、後に独立した。個々の作品を観るときも、それらが180点以上の人体が渦巻く巨大な扉から育った木々であることを思い出すと、ロダン作品全体のつながりが立ち上がってくる。
よくある質問
ロダンが「近代彫刻の父」と呼ばれるのはなぜ?
技術的な革新だけでなく、彫刻が「何を表現できるか」という概念そのものを更新したからです。それ以前の彫刻が神話の人物や英雄の安定したポーズで「完成された美しさ」を再現したのに対し、ロダンは愛の恍惚や苦悩の叫びといった感情の真実を、歪み・ねじれ・崩れる形のなかに表現しようとしました。
ロダンの『接吻』はクリムトの『接吻』と何が違う?
クリムトが金箔と装飾で愛を平面に「永遠に封じ込めた」のに対し、ロダンの『接吻』は大理石による今まさに起きている瞬間の肉体感を表現します。元はダンテ『神曲』地獄篇のパオロとフランチェスカに由来し、『地獄の門』の一部として構想されましたが、後に独立して「純粋な愛の象徴」として読まれるようになりました。
ロダンの作品はどこで観られる?
ロダン美術館(パリ)、フィラデルフィア美術館、東京の国立西洋美術館(考える人の複製)で観覧できます。ロダン美術館にはカミーユ・クローデルの作品も展示されており、二人の作品を対比して観ることができます。ロダンは1917年に没しており、作品はパブリックドメインです。
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